
こんにちは🍀枡田咲子です。
楽しくピアノを習い続けた幼少期でしたが、その先には進路という壁がありました。
一般家庭で育った私、塾に通った経験もなく進学のことには無頓着でした。
山あり谷ありの中高生時代をどう切り抜けたのか知りたくありませんか?
もくじ
技術を磨く中学生時代
たくさんの曲を楽しく弾く中学生時代。
色々な取り組みをされる先生で、クラシック同様ポピュラーを学んだり、ソロピアノだけでなく連弾や2台のピアノのための曲も弾かせてもらいました。
”ピアノを弾く技術”を一番練習した時期だっと思います。
ピアノは誰でもすぐに音が出せる楽器です。でも本当のピアノの音を引き出すためには訓練が必要です。
姿勢や椅子の高さ、指などのフォーム。力を抜いて弾く。ペダルの踏み方などなど。
クラシックとかポピュラーとか関係のない根本的なピアノの弾き方です。
技術を身に付けるも好きで習っているピアノ。方や、部活(ESS部)もするふつうの中学生でした👧
山あり谷ありの高校生時代
高校は普通科に入学🌸
高校に入るとだんだん選択科目も増え、進路について具体的に決めなければなりませんでした。
ピアノを続けたいと思う気持ちから音大受験を決意しますが、時すでに遅し💦
当時の音大受験は厳しく、音大希望の学生はすでにどこの大学志望かも含め受験対策をされていました。
ピアノに加えて楽典(音楽理論)と聴音、またソルフェージュ(視唱)のレッスンも始めなければなりまんせんでした。
そんな私のとった行動とは?
こんな大学教授いるんですね。驚きのピアノの先生
さすがにレッスンが忙しくなり帰宅部の高校生活。大学教授のピアノレッスンも受けるようになりました。
名門ジュリアード音楽院に留学経験をお持ちの女子大の教授でした。
本来は志望校の教授につくのですが、音大希望というだけの私を受け入れてくれました。
受験のためというより、曲をどのように表現して弾くのかをたくさん学びました。
さすがに志望校を決めなければならなくなり、私は大阪音楽大学の受験を決意をします。
理由は音楽をしている人がたくさんいて楽しそうに思えたからです。
私の先生は違う大学教授ということになりますが、私の決断を嫌な顔をせず快く受け入れてくれました。
私が言うのもおこがましいのですが、ピアノだけでなく本当に人間ができた素晴らしい先生でした。
高校卒業後も通い続けるほど、尊敬できる大好きな先生のひとりです。
初ピアノコンクール出場。その結果は?
大学受験もあるし、場慣れのためにもとコンクール出場を勧められました。
そんな大それたことは自分の中で考えもつきませんでしたが、発表会の延長線上くらいの気持ちで出場してみることにしました。
曲目はリストの”森のささやき”だったような?くらいの記憶なんですが、なんと銀賞受賞という結果に!!
地区大会とはいえ2位!とても嬉しったです🤣
これで自信を持って音大受験かと思いきや、想定外の出来事が起きてしまうのです。
1.17 阪神淡路大震災。それでも入試はやってくる
誰がこんな大地震が神戸で起きると思っていたか。
幸いにも私の家族は大きな被害には合わずにすみましたが、不便な生活はしばらく続きました。
私の最大の問題はどうやって受験会場まで行くかでした。
家族の協力のもとどうにか受験することができました。
筆記試験は時刻ギリギリにすべりこんで、そのあと実技試験。
その結果は、、、
短大に合格しましたが第1志望の4年制は落ちてしまいました。
周りから絶対に受かると言われ、自分でも受かると思っていのでショックでした。
でも震災のことを考えると、受験でき合格もして進路が決まったことはありがたいことだとも思いました。
ただこの震災が起源で私の人生は変わっていくことになります。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
中高生時代の結果
今でも心から本当に尊敬できる大学教授に出会えたことは宝です。
ピアノコンクールに出場、地区大会で銀賞受賞したことで自信を得ます。
4年制音楽大学は不合格。滑り止めの音楽短期大学に合格。
高校では部活に入れませんでしたが、趣味で小学生から続けていた習字教室には高校2年生くらいま通っていました🙂
このマイペースは今も健在❗
さいごまで読んでくださりありがとうございます✨
つづきは、”どん底。短大生活” です😰