プロフィール

枡田咲子
Sakiko Masuda
・ジャズ作曲・編曲家
・ジャズピアニスト
・講師(音楽理論、ジャズ作編曲法、ピアノなど)

神戸出身のポピュラー・ジャズ作編曲家・ピアニスト、音楽講師として、神戸を拠点に活動しています。

アメリカ留学や国際ジャズコンペで優勝などの実績がありますが、現在に至るまでは山あり谷ありのことばかり。険しい道は未だに続く。。。

 

英才教育ではなかった

英才教育だったらどうなってたんだろう?と思うこともあります。自由な環境で続いたピアノ。

まさかのピアノデビュー!?ピアノを弾き始める幼少期

実は、いつからピアノを弾いていたのか覚えていません。

家に母のピアノがあって、ただただ音を出して遊んでいたようです🤣

ちなみに、母は趣味程度でピアノを弾きますがピアノの先生というわけではありません。

幼稚園の時には1年間リトミックに通いました。ちゃんとピアノの先生についたのは小学3年生の時です。

それまでは、好きな曲を好きなように弾いていた?あんまり記憶にないんですが、ただただピアノが好きだった事だけは明確に覚えています。

これぞ運命!?クラシックピアノ始める

ついにクラシックピアノを習い始めます😃

これまで好きなように弾いてきたので、楽譜もちゃんと読んでなかったし、指使いもメチャクチャ😱

ピアノの先生との出会いはまさに運命!

1. 間違ったら大変!!はじめてのピアノの先生

はじめての先生は京都芸大出身の厳しい先生でした。

”練習は1日最低3時間!”  と言われ時は、心の中で”そんなの無理”と思った記憶があります。

頑固な私は今まで通り好きな時に好きなように練習しました😈

ピアノだけでなく聴音(聴き取り)のレッスンもありました。

楽譜の書き方はこの時に教えてもらったような気がします。

そんな充実したレッスンは、先生のご結婚のため1年ちょっとで終わってしまいました😢

自分に合った基礎的なレッスンを受けれた事はまさに運命!もし違う先生だったら私のピアノ人生どうなってたんだろう?

2. 大事件!!当時は珍しい?夢をくれたピアノの先生

2人目のピアノの先生は、穏やかでやさしい先生でした。

まさかの事件は、発表会の曲選びで起きました😱

私は当時ベートーベンよく聴いていてカッコイイなぁと憧れていました。

何気なく「ベートーベンの"悲愴"を弾きたい」とお願いすると、先生は了承してくれました😳

その時の実力からは無理があったはずで、他の先生なら100%に近い確率で却下されていたと思います。

今思えば恥ずかしくも思いますが、弾きたい曲を弾かせててくれた事がすごく嬉しかったです。

これをかわきりに、もっと色んな曲を弾きたい、もっと難しい曲も弾けるかも、と私のピアノ人生に火がつきました🔥

子供の発言をも尊重してくれて夢をくれた先生のおかげで、今の自分があると実感できます。

3. なんで曲をしないの? 音を研究!?熱心なピアノの先生

近い!安心!便利!といった理由で習い始めた3人目の先生。

自らもレッスンに通うような向上心に溢れる先生でした。

聴音や楽典(音楽理論)のレッスンもありました。この時が音楽理論デビューですね〜🐣

指使いや、弾き方自体を一から直し、時には曲を弾くだけでなく、1音1和音だけ弾くレッスンもありました。

この1音1和音だけのトレーニングでは、明らかに自分の弾く音が変わっていくのがわかりました。

この時(中学生)初めてピアノをちゃんと練習したように思います。遅いって感じですね💦

ピアノはたたけば音が鳴る楽器。ピアノの弾き方の本質をを教えてくれた先生で、音大受験まで約7年お世話になりました。

この先生に出会っていなければ、今の私の音は存在していません。

遅すぎた。鬼の音大受験。

高校生になって、これだけピアノを続けていると、”音大どうするの?” なんて話がさすがに出てくるもの。

好きで続けていたピアノ。進路まで考えていなかった私。さぁ、どうしよう?と思いつつも、私に音楽意外の選択肢はなく音大受験を決意します!

しかし当時は、”高校生で音大受験を決めるなんて遅すぎる”と言われました。みんなもっと前から本気で準備しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聴いた曲をピアノで再現(耳コピ)のような弾き方だったので、聴き取りはよくても楽譜を読むのは得意ではない。というアンバランスな状態で

 

趣味は料理や旅行で、一人で海外に遊びに行ったりもします!

バークリー音楽大学のジャズ作曲専攻を首席で卒業。海外でのアレンジャー・ワークショップ参加や、国際ジャズ作曲コンペティションで優勝するなどの実績を持つ実績を持っています。

また15年以上の講師業の経験を活かして、独自のポピュラー・ジャズの音楽理論を、基礎から順番にわかりやすくご紹介していきたいと思ってます!

 

 

 

ジャズ・ビッグ・バンドなどの作編曲をミュージック・ストアJPから、全アレンジを担当した任天堂監修 ”マリオ de JAZZ” はヤマハミュージックメディアから出版。

甲陽音楽学院ではジャズピアノ/音楽理論/アレンジ/作曲/イヤートレーニング講師として、神戸電子専門学校では作編曲論の非常勤講師として務める。

ジャズピアノの魅力を少しでも広めたい思いから、神戸新聞文化センターKCCで”誰でもジャズピアノ講座”を開講。

現在に至るまで

幼少よりクラシックピアノを始める。
ピアノが大好きで、とにかく色々な曲を弾くのが好きでした。ピアノが好き過ぎて音大受験を決意するが阪神淡路大震災の影響で精神的に不安定な時期を過ごす。大阪音楽短期大学に入学するも体調は優れず退学。ピアノを弾くこともなく、カウセリングに通う日々を送ります。

ただ音楽を辞めたくない想いから、市内の甲陽音楽学院の存在を知りヴォーカル科に入学します。この時は精神的にピアノを弾く事が出来ませんでした。入学後ジャズに出会い、ジャズピアノに興味を持ち始めます。カウセリングの効果もあってか体調は回復してきて、第2楽器としてジャズピアを始めます。ただクラシックとは楽譜も奏法も、違う事が多過ぎてなかなか思うように演奏は出来ませんでした。上手く弾けない事が悔しくてジャズピアノ科に転科し、毎日6時間以上の猛練習する。同音楽学院提携校バークリー音大学奨学金試験で奨学金を獲得し、ジャズピアノ研究科を卒業します。

卒業後、甲陽音楽学院が提携しているIASJ(International Associated School of Jazz) ジャズ ミーティング パリ大会に参加し、ワークショップやレンスンを受ける。初めての海外は日本人(生徒)は私ただ一人。英語もままならぬ必死でやり過ごす中、世界の音楽やミュージシャンに出会い感銘を受ける。もっとピアノが上手くなりたいと思うようになり、バークリー音楽大学への進学を決意する。

バークリー音楽大学入学後は、どの専攻にしようか迷いもありましたが、当時日本になかったジャズ作曲を専攻。ジャズの作編曲やジャズ対位法をTed Pease氏/Scott Free氏/Greg Hopkins氏、Jackson Schultz氏に、12 tone technique をKen Pullig氏に師事。さすがジャズ名門大学とあって、毎日寝る間もないくらい宿題や課題をこなし、人生の中で一番勉強しました。課題で書いたアレンジが選ばれ、コード・スケール・マッドネス 20th 記念コンサートで演奏される。ハーモニー学部からAlex Ulanowski Award受賞、アワードコンサートに出演する。ジャズコンポジション専攻を首席卒業。

卒業後は帰国し、関西を中心に演奏活動や楽曲をジャズ・ビッグ・バンドに提供や共演と経験を積みます。IAJE (International Associated Jazz Education) ジャズミーティング ニューヨーク大会にグローバル・ジャズ・オーケストラの作編曲/ピアニストとして参加する。

オランダを代表するメトロポール・オーケストラ主催のアレンジャー・ワークショップのメンバーに選抜され参加する。作編曲やオーケストレーションを作編曲家・指揮者のVince Mendaza氏に師事。コンサートでは自作曲をメトロポール・オーケストラに演奏される。これをきっかけに、弦楽4重奏を作曲する機会をもらい、より幅広い編成での作編曲の知識を増やします。

ベルギーのブリュッセル・ジャズ・オーケストラ主催の国際ジャズ作曲コンペティションで自作曲 ”Under the Rose” がゲント・ジャズ・フェスティバルで演奏されBJO Award を受賞(優勝)。観客が投票して選ぶオーディエンス賞も受賞する。この時ばかりは人生変わるかもなんて思いましたが、メジャーなジャンルじゃないだけ、現実なかなかうまく行かないものです。

イタリアのサルデニヤ・ジャズ・オーケストラ主催の国際ジャズ作曲コンペティションでは、自作曲 ”Again” がで入賞。この時は色々なジャズ・オーケストラに自作曲を演奏してもらいたい、という思いで応募しました。曲を作って演奏してもらえるとは本当に光栄な事だと常々思います。

このように海外へ行く事で、旅行する事が好きになりました。海外は違う文化を感じる事ができて面白いです。また海外へ行くと改めて日本の良さを感じたりできます。趣味は、料理や手芸など何か作る事です。